日蓮聖人のお手紙を通して学ぶ佛立信者のご信心と人生

日蓮大士ご降誕800年記念シリーズ 日蓮聖人のお手紙を通して学ぶ佛立信者のご信心と人生 その5 四条金吾氏へのご消息 前段

日蓮聖人が最も信頼を寄せられた信徒が富木常忍氏であったとすれば、四条金吾氏は聖人が最も親愛の情をもって接せられた信徒と言ってよいでしょう。
 四条金吾氏は北条一門の名越朝時、光時に仕えた武士で、中務(なかつかさ)三郎左(さ)衛(え)門(もんの)尉(じょう)頼基という名を併せ持っていました。
 四条氏は日蓮聖人より8歳年少で、入信したのは聖人が鎌倉においてご弘通活動を開始されて間もなくのことと思われます。
 日蓮聖人が四条金吾氏とその妻に与えられたご消息(お手紙)は今日、38通が伝え残されていますが、それらのご消息を通して、わたしたちは聖人のお弟子方、信徒たちにたいする深い情愛と、それに応えるお弟子、信徒の決定(けつじょう)信(しん)をうかがい知ることができます。
 文永8年(1271)9月12日に起きた竜の口のご法難は日蓮聖人の御身にふりかかったご難の中でも最大のご難でしたが、このご法難の際、四条金吾氏が示した行動は当時の信徒の決定信を如実に示す一例といえます。
 日蓮聖人の存在をこころよく思わない他宗僧侶のざん言で、幕府侍大将の平左衛門尉頼綱の引きいる兵に連行された聖人は、その後、処刑場、竜の口へと向われるのですが、この報に接した四条金吾氏は聖人の許に駆け付け、殉死する決意をもらしました。聖人はそれを軽挙と戒められたのですが、しかし、聖人にとって四条金吾氏がこの時示した決定信と聖人への忠誠心は終生忘れがたいものになりました。
 ご存知のように、日蓮聖人暗殺の画策は巨大な光り物の出現という現証によって失敗に終り、聖人は九死に一生を得られたのですが、のちに聖人が四条金吾氏に与えられたご消息の中で、聖人のあとを追い、腹を切って死のうとした四条氏の決定信を次のように述懐しておられます。「返す返す今に忘れぬ事は、頸(くび)切(きら)れんとせし時、殿はとも(供)して馬の口に付きて、なきかなし(泣悲)み給いしかば、いかなる世にも忘れ難し。たとい殿の罪深くして地獄に入り給わば、日蓮をいかに仏に成れと釈迦仏こしら(誘)えさせ給うとも、用いまいらせそうろうべからず。同じく地獄なるべし。日蓮と共に地獄に入るならば、釈迦仏・法華経も地獄にこそ御座さんずらん。」(佛立宗版御妙判集3巻‐368頁)
 竜の口ご法難において四条金吾氏が示した決定信が、熱病のようなその場かぎりのものではなかったことは、聖人がご流罪の地、佐渡から、四条氏夫妻に送られたご消息によっても知ることができます。四条氏はご流罪中の聖人の安否を気遣い、絶えず下人に供養の品々を持たせて、これを聖人の許に遣わしたばかりか、四条氏自身も文永9年4月には鎌倉から山海幾百里の道を遠しとせず佐渡に渡り、聖人を訪ねているのです。
 来月は主君との間に生じた亀裂によって危機に瀕した四条金吾氏にたいし日蓮聖人がいかに対応されたかを、ご消息を通して拝見することにします。