佛立開導日扇聖人物語

宗門は平成29年4月1日、佛立開導(ぶつりゅうかいどう)日扇(にっせん)聖人ご生誕200年をお迎えします。そこで本紙では、ご生誕200年慶讃ご奉公の一環として、小中学生にも理解できるように「佛立開導日扇聖人物語」と題し、2年間にわたり佛立開導日扇聖人のご一代記を掲載させていただきます。どうぞ、ご家族揃ってお読みください。

第24回[2016年12月号]

明治23年(1890)7月17日。この日に予定されていた秦新蔵さん《大阪玉江組の講元(中心となって世話をする役)》宅へのご奉公は、開...

第23回[2016年11月号]

明治23年(1890)、開導聖人のお身体の衰えがとても目立ってこられたんだ。開導 聖人はすでにご自身の死期を悟さとられた(気づく...

第22回[2016年10月号]

明治22年8月2日の夜、麩屋町現在長松寺)にある開導聖人のお館に集あつまった十人 のご信者は、命を懸かけてご信心に励、開導聖...

第21回[2016年9月号]

開導聖人は、明治21年9月1日の親会場(旧本山宥清寺前に建てられていた会館・現在は佛立教育専門学校がある)で営なまれた御講で、...

第20回[2016年8月号]

開導聖人は、佛立講(ぶつりゅうこう)の内部から出た「内紛(仲間同士の争い)事件」により、宥清寺の住職をお弟子の御牧現喜(みま...

第19回[2016年7月号]

本門法華宗の本能寺(五大本山の一つ)の貫首(かんじゅ:最上の位のお坊さん)の日応(にちおう)師は、「佛立講」は、お祖師さま(...

第18回[2016年6月号]

お栄さんが亡くなった(平成二十八年三月号を参考に)後、宥清寺では家事などの手伝いがなければとてもやっていけない状態だったんだ...

第17回[2016年5月号]

開導聖人は高祖六百回御遠諱の後は、佛立講の改良と、ご信者方の育成に力を注がれたんだ。今回は「佛立講内の改良と整備」、そして「...

第16回[2016年4月号]

荒れたお寺で誰も近寄らなかった宥清寺に開導聖人がお入りなられてからは、ご信者が増えていき、お参詣の人でにぎわうお寺となったん...

第15回[2016年3月号]

開導聖人は明治14年(1881)、《高祖六百回御遠諱》(日蓮聖人がお亡くなりになってから600年目に行われる法要)に向むけて、その準備...

第14回[2016年2月号]

開導聖人は明治11年(1878)62歳の時、3年後にお迎むかえする《高祖六百回御遠諱》(日蓮聖人がお亡くなりになってから六百年目に行...

第13回[2016年1月号]

明治2年(1869)1月10日、数名のお弟子とともに「宥清寺(ゆうせいじ)」にお入りになられた開導聖人。この宥清寺は、やがて本門佛...

第12回[2015年12月号]

大津ご法難の後、京都府より「再出家」の許可をもらった開導聖人は、京都・本能寺の塔中(たっちゅう)・竜雲院(りゅううんいん)でご奉...

第10回[2015年10月号]

安政4年(1857)1月12日、開導聖人は41歳の時、『本門佛立講』をご開講。それ以降、次第に京都の町を中心に御題目のご信者が増えて...

第9回[2015年9月号]

松平頼該公(まつだいら よりかねこう)《讃岐(さぬき)の国〔香川県〕の藩主・松平頼胤(よりたね)のお兄さん》は、とても熱心な御...

第8回[2015年8月号]

西行庵を追い出された開導聖人は、衣や袈裟を脱いで、普通の町人の姿でご奉公に励まれたんだ。でも、このとき本門法華宗では「三途成...

第7回[2015年7月号]

兵庫県尼崎の本興寺檀林(ほんこうじだんりん)[=学校]で入学を拒否された開導聖人は、お師匠さまの配慮により千葉県の細草(ほそくさ)...

第6回[2015年6月号]

法華経本門の御題目のご信者となった開導聖人は、ひたすら教えを学び御題目のご信心を深めていったんだ。そして、多くの人々に熱心に...

第5回[2015年5月号]

江戸遊学の2年目の夏。暑さのために身体をこわされた開導聖人。初めは軽い夏バテと思われていたんだけど、次第に病状が進み、重態と...

第4回[2015年4月号]

天保(てんぽう)13年(1842)の夏、お母さんの死という悲しい出来事を少しでも癒やそうと開導聖人は、住み慣れた京都の町を離れ、当...

第3回[2015年3月号]

開導聖人のご両親は、父親は聖人のまだ幼い時に家を出られ、聖人はお母様さまとお婆様さまの手によって育てられました。しかし、その...

第2回[2015年2月号]

 『平安人物誌』に名前が載ったこともあり、仙二郎少年は、京都の町のいろいろな所から「絵を描いてくれ!」と頼まれるほどの人気者...

第1回[2015年1月号]

天保(てんぽう)13年(1842)の夏、お母さんの死という悲しい出来事を少しでも癒やそうと開導聖人は、住み慣れた京都の町を離れ、当...