由緒寺院について

長松寺

 長松寺は開導日扇聖人がその晩年をお過ごしになられたところで「宥清寺奥の院」とも称されています。明治17年、開導日扇聖人は宥清寺よりここへお移りになられました。昭和23年3月、長松寺(ちょうしょうじ)と公称され、昭和30年8月、宗会にて由緒寺院の認証を得、今日に至っております。
 
〔御戒壇の由来〕
 正面右の御戒壇は、聖人が佛立講の御戒壇の見本にと、一番初めに製作せしめられたもので、桜製ですが、聖人が女中さん達に御宝前のお掃除をしたならば、未来には必ず別嬪(べっぴん。美人のこと)のに生まれると申されたので、皆が一生懸命にお磨きいたしましたので、今は唐木製のような光沢を帯びています。
 
〔御本尊〕
 高祖日蓮大菩薩の一遍首題の御本尊でありまして、開導聖人自らお譲り受けになったのであります。
 
〔御尊像〕
 この御尊像は、高祖ご在世の作らしく、護持者は和田楠之助という人でした。ところがある夜のことです。お看経をしてますと、親父1人、夫婦と12・3歳の前髪の子供と、計4人の幽霊が出て、御尊像の側に坐したのを、3人がこれを見て驚き、一座のお看経にて退散せしめましたが、恐ろしさのあまり宥清寺へお供申し来りて、聖人に護持してくれと依頼されましたので、それより当処安置申し上げるようになったという。幽霊の憑いた御尊像といわれており、京都美術鑑定所の里美忠三郎氏によって、鎌倉時代の作と証明されたものです。
 
〔建物と庭の由来〕
 この建物は、優に150年以上前のものです。表の間(現在遺品陳列)は、五五のご指南日に使われた居間です。
 
 心ある人に見せばや麩屋町の わが住む家の庭の朝かな
 
 この御教歌によりましても」、如何に此処の庭が、聖人のお好みに合ったものであるかは、充分拝察し得るものです。庭は石庭と呼ばれるもので、燈籠や木の位置は多少当時と変わっていますが、この庭が大変聖人のご趣味にかなうお住居になったのでした。庭には山茶花が沢山あったそうです。これは、聖人が特に白山茶花と曙山茶花がお好きであったからです。
 
〔庭の東北隅の石は〕 
 苔むして今は嶽となりぬれど 昔の浜のまさごなりけり
 
という御教歌の絵のモデルでないかと思われます。庭の鉢には「阿耨古、長松堂」と認められてあります。
 
〔開導聖人の遺品〕
 開導聖人の御遺品は、本山宥清寺・四ヶ道場を始め、有縁の寺院に多く残されています。そのうちで、御指南書と御蔵書の多くは本山の宝蔵に格護されていますが、日常にお使いになったもの等は長松寺に多く残されています。それらの御遺品の写真集が「義天院無貪清風日扇」として長松寺から、昭和61年に出版されています。
 
 
 
【住職[担当]】
長松清潤
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