由緒寺院について

義天寺

 此の地に於いて日聞上人の御導師にて佛立開導日扇聖人の御一周御忌(明治二十四年)と御三回御忌(明治二十五年)とを御奉修になられ、ついで明治二十九年の御忌のときには「宥清寺出張説教所」として日聞上人が道場を建立せられて御奉修。その年の十一月には教会所の認可を受け、最初の御担任として日聞上人がご就任されたのであります。
 
 明治四十四年八月、日聞上人御遷化後、明治四十五年七月に当山第二世日雲上人が後任の担当となられました。当初、日雲上人は京都より出張されていたのですが、大正七年当道場へ移居常在されたのです。そして教会所の名称を「守口教会所」と改称し、通称「守口道場」と言うに至りました。
 
 昭和八年、開導日扇聖人御入滅の御座敷を永世に記念保存しようと、当山第二世日雲上人が念願され、名も「義天閣」と付けられて、今日その御入滅の御座敷が現存しているのです。
 
 昭和二十一年寺号公称して「鶴林山義天寺」と称しました。
 
 義天寺の前の通りは「文禄堤」と呼ばれる、旧街道となっています。文禄堤とは、豊臣秀吉が文禄五年二月(1596年)毛利輝元・小早川隆景・吉川広家の三氏に命じて、伏見城と大阪城を結ぶ通路として修築させられたもので淀川左岸に沿って造ったものです。この堤は国道の陸路として役にたっていました。昔は義天寺の北側あたりに淀川の本流が流れていました。この淀川は守口あたりでかなり蛇行し、今の淀川と義天寺の間に狼島(面積が7ヘクタールもあったとのこと)と葭島の南側の岸がありました。今も義天寺には、船をつなぎ止めたと言われる椿の木の跡が北側にあります。「守口」という地名は、室町時代に初めて現れたと言われています。(河内国茨田群十七ヶ所下之仁和寺庄守口村という記録がありました)また「森口」と言われていた記録もあります。付近には森に関係のある地名が多く、当地が農耕地として発展する以前は、このあたりは森林が生い茂っていたとのことです。その森のある入口で「森口」と言ったのではないかと考えられています。元禄七年(1694年)に守口町と公称されました。お寺の現存する本町あたりは、文禄堤があった所なので、古くは「堤の町」と言われていたこともあったようです。
 
 
 
【住職[担当]】
竹内現暢
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