ご利益体験談

御法のご守護を実感した日 —戦地での思い出—

第9支庁 愛媛・松風寺  樋川 明さん(仮名)
 
 
 ありがとうございます。私がご信心の有難さを、身をもって体験した思い出をお話しさせていただきます。
 
 私の家は松風寺草創の頃、祖母の樋川千代が教化を受けて入信しました。祖母はよく昔話に、ご信者がまだ18人だった当時の思い出を懐かしそうに聞かせてくれた、古い古い信者です。また、後に事務局長の御奉公をされた向井清太郎氏は、母の兄に当たります。このような熱心なご信心の環境の中で、私は父・末吉、母・サダヨの次男として生まれました。遊び盛りの小学生の頃、よく親から「お看経しなさい」と言われて、友達の誰もそんなことしていないのにと反抗しながらも、御題目をお唱えしていたことも、今は良い思い出です。
 
 そんな私が親元を離れ、戦地へ赴いたのは満15歳のときでした。懐中御本尊をお供しての赴任でした。最初は昭和18年10月10日、福岡県の甘木生徒隊に入隊するのですが、折りしも戦況が悪化する渦中のことですから、翌19年の4月に熊本飛行隊に転属。更に3ヵ月後の7月には、前線のジャワ島・マラン飛行隊に転属となるのです。ジャワ島の部隊に着任してからは、毎日一枚羽根の練習機で離着陸の訓練をし、馴れてくると飛行場の目標に向って急降下の練習をしました。
 
 そんなある日、先輩の飛行機が引っ張る吹流しに向って、射撃訓練をしていたときのことです。私は目標の吹流しを見失ってしまい、どうしようかと思ったとたん、あっと思う間もなく吹流しの綱を切断してしまったのです。次の瞬間、綱が私の座席に飛び込んできたので、左手で後ろへ払いのけたのですが、綱が飛行機に巻き付いた様子もありませんでしたので、一安心をしました。念のため、操縦桿を左右に動かしてみましたが、異常はありません。ともかく一度飛行場に降りようと思い、自分の現在地を確認していると、先輩の飛行機が戻ってきて、ついてくるようサインをくれましたので、あとについて無事に着陸をすることができました。
 
 ところが着陸後、右の翼を確認して驚きました。操縦桿で動かす舵の留め金は残っているのですが、その先の主翼の先端部分がなくなっていたのです。もう1センチでも手前で切れていれば、当然操縦桿は動かず、その場で墜落をしていたと思います。たった1センチの違いが生死を分けたことに不思議を感じ、このとき私は、初めて御法さまのお護りをいただけたことを実感したのです。
 
 思えば若さと祖父母と両親の功徳のお陰で、それまでは戦地にいながらも、生きているのが当たり前のように思っていたところもありました。しかし、一歩間違うと死と隣り合わせの自分を、こうして御法さまが常に護ってくださる有難さを知ったとき、私の無事を祈ってくれる祖父母と両親に、今更ながら感謝をし、自分もしっかりとご信心をさせていただかねばと思ったのです。ですからこの日のことは、今も忘れることはできません。
 
 昭和21年の5月に復員し、22年の2月から郵便局に勤めるようになりましたので、在職中はあまり御奉公もできませんでしたが、昭和59年に退職してからは心機一転してご信心をさせていただくようになりました。退職した翌年、昭和60年の5月20日から励むようになりました毎朝の朝参詣は、今年の10月21日現在で6,444日を数えます。足腰の立つ間は、ずっとご参詣を続けて、御法さまに助けていただいた命を磨いていきたいと思っております。残念なことに、今年もお教化がまだできておりません。御法さまへの恩返しに、ぜひお教化が成就しますよう祈りを込めて、今は朝参詣に努めております。ありがとうございました。
 
平成15年11月9日発表