終戦70年特別企画『戦争の記憶』
渡邊峯造さん(大阪・清現寺信徒)昭和7年(1932)生〔終戦時 13歳〕
『御尊像を焚き上げたのが頭にこびりついて、忘れようとしても忘れられない』
小学5年生の頃から佛立開拓団として満州で生活。ご信心も厳しくしっかりと指導され、のびのびと不自由のないくらしができていた。中学2年の夏、周りが騒がしくなり、敗戦を知った大人達は、慣れ親しんだ生活の場を離れることを決める。身につけられるものくらいしか運べない状況で、御戒壇と御尊像をどうさせていただくか―両親は、涙を流しながら身を引き裂かれる想いで「お焚き上げ」という苦渋の決断を下した。その後、ソ連兵の捕虜にもなり、遺体運びの仕事をさせられるなど、悲惨な光景を目の当たりする。それでも、生きて帰ってこられたことが御利益だと、ご信心の有難さ、法灯相続の大切さをお話しいただいた。
よみもの・映像
- 梶本日裔上人『仕事に行くものはこっちへ並べ。銃を欲するものは左へ並べと、こう言うんです』
- 梶田邦雄さん『仲間に発見されて間一髪すくい上げられ、ご法のおかげをいただきました』
- 渡邊峯造さん『御尊像を焚き上げたのが頭にこびりついて、忘れようとしても忘れられない』
- 近藤博道さん『ソ連兵に囲まれたんです、銃を構えて。あの時だけは、本当に殺されるかと思った。』
- 岸川寿海さん『戦争を反対しなければ、あなたもやがてこういう体になるんです』
- 福本絹子さん『平和平和とよく言いますけど、幸せすぎて、何が正しいのかわかってへん』
- 酒井壽一さん『2カ月だね。終戦が2カ月早かったら、家も焼けてなかったし何もかもあった』
- 宮本かよ子さん『しっかりした人生を歩んでいくために、しっかり教えて、学び、真実を見抜く力を持って』
- 小山日誠上人『笑い顔で機関銃を振り回す 若いアメリカ兵の顔をはっきりと見ました』
- 窪田日求上人『講堂が全部、御題目の合唱になった』
- 川井日陵上人『父から軍隊に行く代わりに、必ず得度(出家)しろといわれた』
- 大井孝夫さん『灯りを小さくし、声を殺して御題目を唱えました』
- 神戸美和子さん『戦争を反対しなければ、あなたもやがてこういう体になるんです』
- 鎮守 裕さん『“行け”の合図で、身を低くして走りだしました』
- 原田忠夫さん『あの年寄りをやっちゃうか?ってこういうわけ。殺しちゃうか?って』
- 吉田愛子さん『ここは、お寺の人たちだから、ダメだ』
- 梶本日裔上人『特典映像:平和へのメッセージ』