ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-06-01 15:42

お初穂と財のご奉公

お初穂とは
 お初穂とは、その年の最初に収穫した稲穂を神仏に供えることをいいます。それと同じように、ご信心のことをまず一番にさせていただくことを「お初穂信心」といいます。
 朝一番に御法様にお水を取るお初水。ご飯を炊いたら初めにお供えするお仏飯。一日の最初の時間と体を御法様のために使う朝参詣。収入があるごとにご信心に使うためのお金を取り分けるお初のお金。
 お初穂は「自分のために使う前に御法様にお供えする」という、信心の表れなのです。

財のご奉公 
 お金は命の次ともいえる大切なものです。その大切なお金を、御法様のために使わせていただくのが「財のご奉公」です。
 ご有志の奉納、お布施のお包み、お塔婆やご回向の申し込み。これらは全て御法様のために自分のお金を使わせていただくものです。
 この財のご奉公により、私たちは財の功徳を積みます。功徳とは幸福の種のことですから、お金にまつわる徳が身に付いて、自然とお金に困らないようになっていくのです。

身に付いた果報
 仏法では、人の幸不幸や貧富などの生活環境は、身に具わる果報に因ると教えます。
 果報とは幸せを感じられる度合のことで、果報が足りていなければ思ったようには生きられません。
 親が資産家である、お給料のいい仕事をしている、事業等に成功した。これらは裕福さを決める一つの要因ではありますが、それだけでは表面上の見方です。
 生れる親は自分では選べません。いい仕事に就けたのは努力の結果ではありますが、努力をしても上手くいかない人だって大勢います。事業に成功したのは、自分にその手腕があったからですが、商売とは相手があってのものです。
 生まれ育った環境、持って生まれた能力、自分とかかわりあう人の良し悪し、運やタイミング。そのような不確定要素が、不思議といいように動いてくれたから、結果的に裕福になれた。このように考えるのが仏教の教えです。
 果報とは、その不確定要素を良く変えていく、目に見えない力の働きのことなのです。

財の功徳で財の果報を増す
 財の功徳を積めば、財の果報が身に付いていきます。果報が身に付けば、自然とそれに見合った暮らしができるようになります。
 お金がないと思っていても、必要な時には不思議とお金に困らないようにしていただける。そういうご利益がいただけるようになるのです。
 財の功徳を積むには、財の面の「お初穂信心」を徹底することです。お初のお金を取り、ご信心と生活とのお財布を分ける。そして、喜んで精一杯の在のご奉公をさせていただく。この積み重ねが大きな果報となって身に付いていくのです。

御教歌
おのが身に そなはるむくひ あるならば まねかずとても くるものは来ん