ほんもんぶつりゅうしゅう

2018-04-22 14:06

門祖日隆大聖人御開山会奉修

4月22日「門祖日隆大聖人御開山会」が大本寺乗泉寺執事長・岡本日言導師ご唱導のもと盛大に奉修されました。

晴天のお計らいをいただき、寺内201名、他寺院77名、合計278名のお参詣をいただきました。

法要の中で、当山ご住職より、この春新しく小学校に入学された子どもたち一人一人に記念品が手渡されました。

また、8月19日に開催される第5支庁「第6回青少年の一座」と布教区管内青年会交流の場として企画された「千葉房総のお祖師さまのご遺跡巡り」について、布教区青年会委員よりご披露いただきました。

 

奉修御導師 御法門

~御教歌~

  寂光の門のあかぬは信心に

 閂入れしむくひ也けり

(大意)御教歌のお書添えには

  『臨終に此の相をみる。後悔何の詮かあらん』

   とお示しで、いくら信者であっても、日頃ご信心に自ら閂を入れていたのでは、臨終のときに、その報いが現れて寂光に行けなくなってしまう。

   その時になって後悔しても始まらず、せっかく信心を続けて来ていながら、又もや地獄の苦しみを味あわなくてはならない。それは自分でかけた閂のせいだとお戒め下された御教歌です

    ①「臨終」とは・・・死を迎えること

    ②「寂光」とは・・・仏さまのいらっしゃる処

    ③何故、信心の閂(かんぬき)がいけないのか

    ④その無理からぬところに、実は落とし穴がある

    ⑤最高の願いは「寂光参拝」させていたゞくこと

    ⑥実は、そこが大事なところ

(御指南)

  『限りなき煩悩には門を明はなち、信行には限りをつけて閂を入れて

   進まぬ故に、其報ひを臨終の時に顕す、是は自業自得也』

    (十巻妙 第三 如説抄拝見 完・扇全十四巻四百二十七頁)

 

○私共のご信心は、最悪の条件や境遇のもとでも

 経力によって「可能性を追及する精神」を失ってならない

 

と御教導をいただきました。

 

高祖日蓮大士ご降誕800年慶讃 教化・法灯相続つづれ織り運動がスタートして初めてのこの御会式をご信心改良の好機とさせていただき、

充実したご奉公を心がけていきたいと思います。

歓照寺 広報部