ほんもんぶつりゅうしゅう

2014-08-17 11:12

スリランカ団参記(第3回) 床並登彰師

ゴール親会場での十五周年記念御講や佛立宗のコフワラセンター(首都コロンボ)での十五周年記念法要においては、スリランカのご信者さん方によるたくさんのご利益談のご披露がありました。また、関西空港から中継地点のシンガポールまでの機内で、偶然、隣りの席になったスリランカ教区長・福岡日雙導師からも現証談をお聞かせいただきました。今回は、機内で福岡日雙導師から伺ったスリランカの二つの現証談を記して、スリランカの現証布教についてご報告致します。

 

一、お塔婆建立による現証談

 スリランカにはもともとお塔婆を立ててご回向をするという習慣は無かったそうです。そこで福岡御導師はスリランカのご信者にお塔婆を立てることを教えました。そして、ある村に行った時にたくさんのお塔婆が立っていたので「早速、私が教えたことをわかってくれたのだ」と喜んだのですが、すぐにわかったことにはこの村は幽霊村であったそうです。あるスポットへ行くと、一つの地点を取り囲んだ犬たちが空中の何も無い一点に向かって吠えながら飛びかかって行くのだそうです。人間には見えない何か霊的な気配を犬たちは感じ取っていたのでしょう。そういう村ですので、村の中のお教化になったご信者たちが、教えられた通りお塔婆を立て

たのです。それから、上行所伝の御題目を唱えて一座の回向を奉修しました。それ以後、その村で起こっていた霊的現象はパッタリと無くなったそうです。

二、一村(いっそん)教化の現証談

 スリランカは教育費と医療費は国費で賄われます。ですから、誰でも学校へ行けますし医療を受けられます。そうは言っても、交通機関や交通網その他のインフラ整備という面では日

本とは程遠いものがあるわけで

す。親会場に参詣するのに、近くに橋が架かっていないため参詣の行き帰りは川を泳いで渡るというご婦人もいらっしゃいました。ですから、コロンボなどの大都市は別として、いくら医療費が無料といっても地方へ行けば行くほど、思うような治療は受けられないというのが実情でしょう。

 そういう状況の中で、スリランカ北部のある村の方が教化になりました。その方は、足の先から徐々に腐っていく病気で、日本で言う壊疽(えそ)のような症状の病気でした。当時のその村では助かる人の少ない、謂わば「死に至る病」です。とにかく、足をお供水

で湿布して、たくさんのお供水を頂かせてあとはひたすらお助行をしたそうです。すると、その方は見事、病気平癒のご利益をいただかれたのです。「死に至る病」が治るという現証のご利益によってその村は一村教化になったそうです。

さらに、このお話には後日談があります。一村教化のこの村には昔からの小乗仏教寺院があります。スリランカの小乗仏教寺院では菩提樹(ぼだいじゅ)がステータスシンボルで、その菩提樹も大きければ大きいほど良いそうです。ところが、この村の寺院にはもともと菩提樹が無くて、ある時からその寺院の住職はインドからわざわざ取り寄せた種を蒔いて育てていたそうです。ところがその菩提樹が枯れ始めたのです。折角、育ってきた菩提樹が枯れ始めて住職はがっかりしたのですが、ふと、「そうだ、あれがある。

あれがあるじゃないか!」と閃いたのです。そうです。村人の「死に至る病」が治ったお供水です。この僧侶はそれからというもの毎日、枯れかけた菩提樹にお供水をかけてその前で一日三十分の御題目を唱えたのです。約一年後、この住職から佛立宗のコフワラセンターに電話がかかりました。「今度、福岡御導師が日本からスリランカに来られたら、うちのお寺へ足を運んで欲しい」と。福岡御導師が訪れてみると、枯れかけていた菩提樹が見事に青々と繁り蘇っていたそうです。お供水と御題目口唱による素晴らしい現証ご利益です。

 

 以上が、機内で福岡御導師からお伺いした現証談です。そして、その後に、「他にも挙げたら切りがありませんが、十五年の間、こうした数え切れない現証のご利益によって、スリランカに御題目が弘まっていったのです」と福岡御導師は語ってくださいました。

 この二つの現証談やスリランカのご信者さん方がご披露してくださった多くのご利益談を聞いて私が感じたこと。それは「海外」と「国内」、「明治時代」と「現代」といった場所や時代には関係なく、佛立宗のご弘通はいつも御題目口唱による現証ご利益によってなされてきたということです。今回のスリランカ団参を通じて私が皆さんに一番強く伝えたい事はこの現証布教の事です。もし可能であれば皆さん一人一人が団参等で海外弘通の現場へ足を運んでください。そして、自分の目で見て耳で聞いて身体でその息吹を感じてください。そこで得た感動や感激は、今度は皆さんの日本でのご奉公現場で生きてくると思います。

 以上で、三回に亘って掲載した「スリランカ団参記」を終了します。三回のうち特に今回、右に掲げた二つの現証談を書くに当たっては、福岡御導師に原稿のチェックをお願いしました。今まで口では何回も喋った内容ですが活字になる以上、小生の聞き違いや記憶違いがあってはならないと思ったからです。その際、ダメでもともと、思い切って、「不輕寺のご信者へ一言でも構いませんのでメッセージを頂戴できないでしょうか」とお願いしました。国の内外をご奉公に奔走されご法務ご多忙の中にもかかわらず、福岡御導師は小生の申し出を快くお引き受けくださいました。心より御礼申し上げます。

 

 それでは、イタリア・スリランカをはじめとした海外弘通の第一人者・福岡日雙上人から不輕寺のご信者方へのメッセージを次に掲載させていただきます。

 

 不軽寺の教講の方々が海外弘通に理解を示し、ご協力下さっていることを常々有難く存じております。

 これまでにイタリアやスリランカに団参の一員としてご参加下さった方々には三つの共通点があります。

  1、そこそこの体力があること。

  2、そこそこのお金があること。

  3、そこそこの暇があること。

です。

 考えてみますと、私たちの人生において、この三条件の揃っている時期というのはそう長くはありません。体力のある時はお金と暇がない、お金と暇ができた時には体力がなくなっているといった具合です。ですからイタリアやスリランカ団参に参加できるということは、それ自体がとても有難いことなのです。

 イタリア団参、スリランカ団参を申し込まれる方にはもう一つ共通点があります。「イタリア、スリランカへ行かせてもらおう」と決断したことです。

 人生にはいろんな場面で決断を迫られることがありますね。こういう時、人間のタイプとして、心の中の「する」「しない」の二つのボタンのうち、「する」のボタンを押すタイプの人と、「しない」のボタンを押してしまいがちなタイプの人がいるようです。

 二つのタイプのうち、どちらのタイプの人が結果的に得をするでしょうか。私は「する」のボタンを多く押す人のほうが得することも多くなり、人生をより有意義にし、充実したものにし、後悔することも少ないように思います。

 三条件の揃っている方、イタリア団参、スリランカ団参に加わるチャンスがあったら、思いきって「する」のボタンを押して、随喜、感動できる機会を逃さないようにしてください。

 三条件が揃わなくなってしまったご年輩の女性の方も決断して「団参に加わる」のボタンを押して、イタリアのローマを訪れてください。どうか「老婆の休日」を楽しんでください。お待ちしています。